2019.01.10 07:15国防と産業大博覧会 日本全国の特産品、工芸品や軍事技術など、たくさんの当時最先端の産業が公開された呉主催の博覧会。 会場は二河、川原石海軍用地が当てられた。正面に大きく産業本館が、その右側と左側分かれるように、朝鮮館、満州館、台湾館、拓殖館、郷土産業館、農林水産館、観光館、呉線開通記念館などがならび、左側に軍需工業館や演芸館、子供の国などが設けられた。
2018.12.06 08:12呉海軍病院(現・呉医療センター) 1889年呉鎮守府開庁と同時に設置された。兵士の治療だけではなく、海軍の衛生管理、看護兵の養成なども担っていた。戦後占領軍によって接収されていたが、のちに国立病院として整備され、現在は呉医療センターとなっている。
2018.12.06 07:56亀山神社 亀山神社は、呉市の総氏神として1200年の歴史をもつ。亀山神社はもともと入船山にあったが、海軍鎮守府が設置されるに伴って現在の場所に移転した。毎年10月に秋祭りが行われている。 1945年7月に空襲により全壊。同年の秋祭りは、入船山に設置されていた水交神社の神殿を移して実施された。現在の社殿は1955年に再建された。
2018.12.06 07:43眼鏡橋眼鏡橋は、元々第一門前にかかっていたが、現在は、地下に埋もれていて見ることができない。眼鏡橋は、海軍の敷地への入り口に位置しており、兵士だけではなく、海軍工廠に通う職工など多くの人が通った。 広島駅と呉駅のあいだは1903年開通。眼鏡橋架橋は1935年呉駅と三原駅間の三呉線が開通したときに建設された。
2018.12.06 07:42本通・四ツ道路市電が通っていた本通が、絵葉書で取り上げられる場合、つねに四ツ道路であった。絵葉書を見ると、時代が移り変わるとともに、舗装され、鈴蘭灯が設置されていく様子がわかる。四ツ道路から、絵葉書の右手に行くと海軍病院、呉鎮守府司令官官舎、水交社であり、左手に行くと呉駅である。また手前に歩いてすぐの場所には海軍第一門、眼鏡橋がある。また絵葉書の左側の...
2018.12.06 07:40吉川旅館吉川旅館は、呉駅と第一門(眼鏡橋)の中間あたりの一等地に位置していた高級旅館。呉市の旅館は、1等から3等まで等級がつけられていたが、吉川旅館は、「1等甲」というランクであった。料亭を兼ねており、海軍士官の歓送迎、宴会などに利用されていた。
2018.12.06 07:38呉駅呉駅は、1903年呉まで鉄道が延長されたときに設置された。絵葉書の駅舎(2代目)は、1922年に建設され、1945年空襲により全壊した。現在の駅舎は、1981年に建設された第4代目である。呉と三原のあいだの呉三線が開通したのは1936年。 呉駅から海軍下士官兵集会所の前を通って海軍工廠まで引き込み線があった。この引き込み線の痕跡は、現在で...
2018.12.06 07:36水交社水交社は、海軍将校の親睦・研究団体であり、本部は東京に置かれ、呉にも支社が設けられていた。水交社はなによりも海軍将校の親睦の場であり、海軍の祝祭典、祝賀会のほとんどが水交社で開催されたという。水交社の所在地は、鎮守府長官官舎の近く、呉市街を一望できる高台に位置していた。現在は、自衛隊の官舎が置かれており、水交社の建物は現存していないが、眼...
2018.12.06 07:35中通・千日前 中通を取り上げた絵葉書は、「千日前」と呼ばれていた場所である。現在の中通4丁目にあたる。右手に見えるのが「喜楽館」という映画館。大正時代中頃の絵葉書には、まだ鈴蘭灯は見えない。その後、鈴蘭灯が設置された後の絵葉書もまったく同じ構図となっている。 「千日前」という地名は大阪発祥の地名で各地にある。また鈴蘭灯も横須賀など多くの都...
2018.12.06 07:28紅葉旅館 紅葉旅館は、呉駅から第一門(眼鏡橋)に至る途中にあった高級旅館。呉市の旅館は1等から3等まで等級がつけられていたが、紅葉旅館は「1等甲」というランクであった。料亭を兼ねており、海軍士官の歓送迎や宴会などに利用されていた。